ZEN LIFE

寺生活のあれやこれや。日々の暮らし

トスカニーニ&NBC交響楽団 ブラームス 交響曲2番ハイドンの主題による変奏曲 悲劇的序曲 

ブラームス交響曲第2番ニ短調op.73

1952年2月11日カーネギーホールでの録音。録音が優秀。演奏も立派。というよりしっかりしたブラームスだ。きびきびした雰囲気、冒頭から引き込まれる。ロマン的だとかそういう空気感じゃなく、音楽に引き込まれる。ロマン派だとかに分類されるブラームスの音楽なのだが、トスカニーニの指揮だと音の渦に引き込まれるというより引きずりまわされる。特にこの曲の雰囲気に彼の指揮はぴったりツボにはまっている。

まったくダレない。飽きさせないのである。

第一楽章、弦の奏でるテーマが本当に心に響く。トスカニーニは特にホルンを強調させて音のうねりをしっかり支えていく。吠えるようなティンパニ、厳しく優しく弦が答える。キャリアの晩年の演奏とは思えない、素晴らしい。オケの技術も凄いのだろうがこの緊張感でまとめあげる指揮者の手腕は流石だ。

第二楽章、これは曲がもう一つ乗り切れない楽章なので、歯切れが良くないので少し肩透かしを食う。ホルンが良く歌っている。木管の動きがもう一つはっきりしない曲なのだ。この楽章だけはちょっと??なんだけど、オケは美しい。逆にもっとゆっくりやった方が曲が際立つと思うのだがいかがなものか。まあ、大作曲家に私ごときが批判したところで何ともならないのだが。

第3楽章、Allegro grazioso 優美に これは好きな楽章。明るく、愉しい空気が漂う。トスカニーニはこういう曲は上手い。

フィナーレ、allegro con spirito 元気よく生き生きと。息もつかせず快適なアレグロで進む。最後まで息をつかせず一気に進む。無駄がなく一筆書きのような流れ。

 

この曲も沢山の録音があるが、70年前の演奏なのに古さを感じない。トスカニーニの感性でブラームスを振るとこんなに格好いい。カラヤンアバドムーティなどよりずっと良い。最高のブラームスの2番の演奏だと思う。

ハイドンの主題による変奏曲 1952年2月4日の演奏。リマスターを日本のスタジオで行っているようだ。モノラル録音ながら、違和感がない。現代の技術は凄いものだと改めて感じる。ホルンの音の広がりが凄い。愉しい曲が多く、もっと色んな指揮者で聴いてみたい。

悲劇的序曲op.81 1953年11月23日NBC放送局のスタジオ録音。残響のない鋭い録音。妥協がないという、キレのある爆演だ。短い曲でも決して手を抜かない緊張感、これも吠えるホルン、ティンパニ、トランペット。どうしても木管が貧弱な音になってしまうのが一連の録音の癖なのだが、この演奏も残念ながら響きの薄い録音である。演奏が良いだけに残念な点だ。

ただ、この一枚は選曲がよく行き届いており、最後まで飽きることなく聴けた。まさしくブラームスに浸れる一枚だといえる。

 

 

トスカニーニ&NBC交響楽団 ブラームス 交響曲1番 大学祝典序曲 ハンガリー舞曲

今回はブラームス1番。1951年11月6日カーネギーホールでの録音。

すっきりした演奏だ。リマスタリングがいいのだろう、すごく自然な音だ。

70年も前の録音なのが信じられない。先入観が吹っ飛んでしまった。これは知り合いの名曲喫茶でタンノイで鳴らしてみたい。

第一楽章、速いテンポでキビキビしてて気分が盛り上がる。ティンパニーが良い!きつすぎず、心に響く。フォルテがどぎつすぎない。これをブルックナーマーラーみたく、バリバリやられたら、しんどい。Hrも抑揚が効いており、素晴らしい。トスカニーニは実はブラームスがお好きなんだ。特にこの楽章はノリノリだ。音楽がうねってるのだ。第二楽章、ゆったりたっぷりだ。低弦パートが良い。Obのソロものびのび吹いている。Clとの掛け合いも見事。コンマスさんとHrのトットィ?も良い。こういう楽章の緊張感と開放感が素晴らしい。弱音でのアンサンブルに乱れがないのは流石だ。第3楽章、Clの心地よい響き、木管群の演奏力は凄い。職人ばかりだ。フィナーレ、これも良い出だし。おどろおどろしい雰囲気満点。一転、Hrの雄たけび。朗々として大好きだ。

Tbのコラール、実に上手い。ここから先は一気に聴かせる。息つく暇もない素晴らしさ。実に溌溂とした演奏で胸がすくとはこのことだ。

この演奏は良い。オケ全員が火の玉のように突き進む。もっと大勢の人が聴くべきCDだ。トスカニーニに偏見のある方々に是非聴いてもらいたい。ただ、後半のティンパニーは楽譜より多くないかな。演奏の効果は高いから良いんだけど。

大学祝典序曲は、1948年11月6日NBC放送局のスタジオ録音。少し乾き気味の音。これは典型的なトスカニーニの音だ。メリハリが効きすぎで弦が少し耳障り。慣れるまで少し時間がかかる。音楽自体は艶やかな演奏なはず。

最後はハンガリー舞曲1番17番20番21番。コンサートのアンコールでよく演奏される。1953年2月17日カーネギーホールでの録音。こういう曲はお手のものだろう。いい演奏だ。録音も良い。特に20番。哀愁を帯びた弦のアンサンブルが最高だ。

 

とても良いCDに仕上がった一枚だ。特に交響曲1番はこの曲の名盤にふさわしい白熱の演奏だと思う。

 

 

 

芸能人!芸人!政治家!

 新年になってから大騒ぎになっているのが政治家、そして芸人。政治家の問題は全くテレビで放送しなくなり、新聞でもネットでもほとんど取り上げなくなった。

芸人のゴシップで全部吹き飛ばされてしまった感じである。

そもそも芸人というのは、ゴシップやら女性関係でごちゃごちゃしてるものだし、芸能事務所やらマスコミやらが後からどう取り繕ったところで裏が丸見えである。誰もかれもが「同じ穴の貉」であり、「目くそ鼻くそ」程度の事だ。渦中のM氏は私と同世代。

弾けて好きなことをしたいやりたいようにやりたいというのも良くわかる。ただ、粋じゃない。遊んだ女性に後からごちゃごちゃ言われるような遊び方しちゃいけないし、相手を選んで遊ばなきゃいかんのじゃないのか。まあ、昔からその手の問題ある芸人は多かったようだし、今に始まったことじゃない。芸能界が堕落したんじゃなくて、その程度の世界なのだということだ。

ただ、そういう世界にも綺麗に遊ぶ人たちもちゃんと居る訳だから、結局は本人の自覚が肝心なのであろう。

明日は小正月。正月の最後の行事をして終わりにするとしよう。

 

トスカニーニ&NBC交響楽団 ベートーベン交響曲9番「合唱付」

ベートーベン交響曲9番「合唱付」

アイリーン・ファーレル(ソプラノ)
 ナン・メリマン(メゾ・ソプラノ)
 ジャン・ピアース(テノール
 ノーマン・スコット( バス)
 ロバート・ショウ合唱団
 1952年3月31日4月1日、カーネギーホールで録音。LPでの録音よりもはるかに良い。ガチガチのRCAの録音という印象はなく、残響もあり、充分聴くに堪える。70年前の録音に贅沢をいうべきではない。

もっと古い録音を聴いてみたい。第一楽章から速すぎ。弦がついていけてない。艶やかな弦楽器を聴きたいのに置いてけぼりになってしまっている。第二楽章はちょうどいい感じのテンポなのでとても惜しい。第3楽章ももっとたっぷり聴きたい。終楽章の緊張感が素晴らしいだけに、1楽章、3楽章の違和感がどうにも残念でならない。

 トスカニーニの晩年の演奏が概して速すぎのテンポなのは色々述べている方が居られるのでその方の記述を読んで頂きたいが、若いころの解釈をちゃんと聴いてみたいと思う。

困ったちゃん

もう早くも5日になってしまった。残すところあと360日でまた来年がやってくる。

今年こそはと思っていることがまだ何も出来ていない。仕事のテンポも随分ゆるくなってしまったようだ。それが今の自分に合ってるのだからしょうがないのだけれども、もっと色々書きたいことがあるからちゃんと書きたい。

 もう30年以上も前からの友人がたまに頼みごとをしてくる。それはそれで嬉しい。というかかなり嬉しいことだと思う。だが、なかなか難解な依頼事なのである。今の私は半分世捨て人状態なので、あまり広く人との付き合いがあるわけではないので、仕事の仲立ちをと言われても期待されるほどの人脈もないのが何とも歯がゆいのだ。

 ということでお断りをしようと思うのだが、その断り方が難しい。やんわりというのも意外と手間がかかるものだ。

 気分晴らしに久しぶり(ほぼ3年ぶり)にスターバックスで抹茶ラテで一息入れる。

私のような田舎モンには似つかわしくない、客も店員も妙にあか抜けている。

オヤジとしては浮きまくりである。でも一日に一度、こうしてカフェやら本屋やらに出てくるのは良い社会勉強になる。

今夜は家にカレーを作ろう。新年の餅攻撃にそろそろ飽きてきたのもある。この松の内後半にはもう我慢がならぬ。あとで写真を添付したいと思う。

令和6年正月

本年もよろしくお願いします。

ということだが、何をお願いするのかというと、ここでは読んで頂くことをよろしくお願いしますということなのだろうが、その時々でそれも変化するわけで、家族に対しては、「今年も変わらず家族でいてください」という具合なのだろうし、町内の方とお目にかかった時には「まあ、お互い迷惑なこともあるかとは思いますがそこんところよろしく」ぐらいの関係なのかだとかそれぞれ色々あろうかと思う。

まあ、何はともあれお互いそれぞれの距離感でいることが邪魔にならず、かといって悪い関係にならずに済むというぐらいなのか。

あんまり近すぎて面倒なことがないぐらいが丁度いいのかも知れない。

何軒かのご近所さんに明日はご挨拶だ。今日はお墓参りもあるしあまりぶらぶら出かけることもままならない。

 

親ガチャ

今年もあと3日である。一年が早く感じるのは年を取ると実感するもののひとつだ。

5歳の子供にとっての1年は50歳の大人の感じる時間の10倍の価値があり、老人の一日は若者の一日よりも重い価値がある。自分が老境に近づくとより現実的に感じられる感覚だ。

 世間に親ガチャという言葉がある。的を得ている言葉だと思うが、不幸を呼び寄せる若者の言い訳に使われがちなのが気になる。ある程度年齢を重ねると、親が裕福だから子供が幸せな人生を送れるとは限らない話を見聞きする場合が多いのだ。逆の例もまた沢山あるので、結論としては自分の出自を卑下する必要もないし、出自のせいで自分が幸せだ、不幸せだなどとは思わないほうが良い。

若い人には逆境が力になる人も居るし、恵まれた環境で駄目になる人もいる。常に人間力が試されているのだと思った方が良いと思う。

トスカニーニ&NBC交響楽団 ベートーベン交響曲5&8番

5番は1952年3月22日、8番は11月10日にカーネギーホールにて録音。

5番は言わずと知れた運命だ。全体的には速めのテンポなのはこの時代のいつもの事だから気にならない。生で聴いたらさぞ興奮したであろう緊張感だが、もっとたっぷり聴かせてほしい気もする。2楽章はウルトラセブンのテーマのような恰好よい曲だが、ちょっと気張りすぎに感じる。しかし、CDでは弦の響きがとても良くなっていて驚く。

全体的な纏まりがとても良くなっているのだ。昨今の良すぎる録音よりも曲の雰囲気があるように感じるのは私だけなのだろうか。3楽章はぐいぐい進む。低弦群の速いパッセージがほとんど乱れない。トスカニーニはチェロ奏者なのでオケのメンバーさんはすごく緊張してたんじゃないのかなと感じる。続けてのフィナーレも怒涛のように進むがちょっとした乱れがあるんだが、おそらくジロリと睨んだんじゃないかなと思う。しかしながら、緊張感は凄い。ラストのほうが金管群がバリバリ鳴るんだけど、演奏者がツワモノぞろいなので余裕しゃくしゃくである。こんなにティンパニーが鳴ってるのかなとちょっと気になったのであとでスコアで確認してみる。

 8番はちょっとうるさすぎる出だし。もっとかわゆく始めてほしい。あんまり好きな曲じゃないのかな。わがまま言うようだが、こういう曲は最近の録音のほうがすっきり聴こえるのかも知れない。木管の重なりが薄っぺらく感じてしまう。同じCDでも五番の録音とは随分違いを感じる。2楽章、これも速すぎ。この曲のオシャレな感じがぶっ飛んでしまっている。3楽章、ちょっとベートーベンにしては跳ねすぎ?なリズム。私の先入観なのかもしれないが、あまりベートーベンらしく?ない感じだ。少し戸惑う。ホルンの遠近感がすごい。これは録音が良いのだろうか。フィナーレはやっと納得って感じだ。でも、それにしても少し速すぎな感じ。この曲全体の可愛らしさがあまり感じられない。他の指揮者のものを聴き比べておきたい。

最後にレオノーレ序曲3番。これは1939年11月4日、NBCのスタジオでの録音のようだ。この演奏のテンポのほうが自然な感じ。ただ、残響のない音に少し面食らう。変な色付けのある音よりは好ましいのだが、何といっても曲の雰囲気をぶち壊してしまうのは如何なものか。トスカニーニの好みだったというが、疑問が残る処理だと思う。

ベートーベンは基本的に大好きだし、聴くたびに新しい発見もある。もっといろんなCDを聴き比べてみたい。