人を欺いたりするのに宗教を使うなどとはまことに不心得でございます。
ところが私どもも一歩間違えれば同じ道に落ちてしまいます。
だからこそ、十分に気を付けていかなくてはなりません。
人を欺いたりするのに宗教を使うなどとはまことに不心得でございます。
ところが私どもも一歩間違えれば同じ道に落ちてしまいます。
だからこそ、十分に気を付けていかなくてはなりません。
あっという間に4月が終わり連休に突入している。今年は近年にないぐらいやることが多い連休なので遊びには行かない。でも、有難いことに何とか生かして頂いているのが嬉しいものだ。
明日から三月。もうお彼岸月になる。光陰矢のごとしとはこのことだ。このまま暖かい日が続くと少し嬉しい。
新型コロナウィルスはもう恐れる必要は無いのではなかろうか。専門家がもうオミクロン株ウイルス特有の性質に合わせた対応をすべきだと提言したにも拘わらず、行政側、都道府県知事の意向によって行動制限を行うなどの蔓延防止法などを発令し、さらにマスコミは、自分たちの都合のいいように発言する行政の言いなりになっている医療関係者によって、手のひらを返したような発言を繰り返して行うのを見るとうんざりしてしまう。
これじゃあ共産党主導の中国と同じではないだろうか。行政の意向によって専門家の提言が受け入れられないのであれば専門家会議などなくてもいいぐらいに思ってるんじゃなかろうか。まさに行政の傲慢であろう。それに気付かない私らもどうかしている。
正直、これ以上の自粛はもう必要ない。でも周りの目があるから取り合えず自粛しとけば問題ないからなんて思ってるといつまでもグズグズ引きずるだけであろう。
坐禅会は徐々に元に戻している。周りに影響があるものはそれなりに状況を見てやっていけば良いだけの話なので、大袈裟に考えず悠々と日々を過ごしてゆきたいものだ
本年も宜しくお願いいたします
ということで年が改まった。昨年は怪我や思いもよらない事態、悪疫の蔓延等で振り回された。それとは反面、十月には平林寺江楓老師の妙心寺歴住開堂に荷担する機会を得た。昭和に改まったころ、およそ一〇〇年も前に平林寺峯尾大休老師が妙心寺管長として住山された折、是照院の先々代宗春和尚が侍者として本山に常勤していた経緯もあり、巡り合わせもあったのであろう。一週間のお勤めであったが貴重な体験をさせていただいた。今年は特に目新しい行事は無いが、コロナ禍で休んでいた行事が徐々に復活しているのでコロナ禍以前の状況に戻っていけば良いと思う。踏まれても草木は花を咲かせるものだから何も心配することはない。
2年ぶりに吉縁会を再開。3部構成で夜の部もはじめて開催する。
今後も平日の夜開催も視野に入れてみたい。
それにしてもお日柄も良く、最高の仕切り直しになったと思う。
新システムのトラブルもなく、アクリル板のおかげで話がしにくい状況にはなってしまったが、逆にお互いが近くなったのも事実。
良し悪しは分かれるが、この件は良しとしたいと思う。
何はともあれ再開できて一安心である。